2016年10月07日

下北沢カレーフェスティバル!

10月7日(金) 晴れ 旧暦長月七日 正午の月齢6.1

そんなわけで、行って来ちゃいました。
夜の下北沢カレーフェスティバル!
この地にひしめき合う100余りの店舗が、
オリジナルカレーの味を競い合う、
町全体が匂い立つような10日間です!(10月16日まで。)

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で、今宵僕が行ったのは、以前にもライブで訪れたことのある、
南地区の「カフェ mona record おんがく食堂」。
ここの「秋野菜カレー」がお目あてです。
訪問するのはもうかれこれ、10年ぶり位になるかも知れません。

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この木製の急階段を上った2階に食堂が。
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靴を脱いで板敷きのフロアへ。座布団の上に座を占めます。
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隣席の女子諸君もやや足を投げ出し、しゃべりつつ食べておりました。
とにかく寛げます。

で、これがお目当ての秋野菜カレー、900円なり。
ナス・レンコン・かぼちゃ・しめじ・トリ肉に、ポテトをカリカリに揚げたようなもの etc…
爽やかな苦みのきいた、大人の味わい。うまいぜっ!

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さてこの時間帯は、ドリンク2杯目以降を300円でサービス中。
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というわけでまんまと乗せられ、ビールに続き泡盛をオーダー。
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もちのろん、ストレートです。こんな旨いもん、割って飲めるかっ!
この泡盛、僕が飲んだ酒類の中で、一番体に優しい気がします。
何たって、飲み過ぎても翌朝残ったこと一度も無いもんね。

そんな次第。あ〜、いい夜でした〜。


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2016年09月16日

AUN J CLASSIC ORCHESTRA ライブ

9月16日(金) くもり 旧暦葉月十六日 正午の月齢14.7

今宵は和楽器ユニット・AUN J CLASSIC ORCHESTRA(アウンジェイ クラシック オーケストラ)のライブに行って参りました。

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会場は赤坂の草月ホール。以前より1度は訪ねてみたいと思っていた場所です。
茶色塗りのシブい内装。前席との間隔がやや広めで、ゆったり感あり。

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編成は尺八・篠笛・琴2、三味線2、太鼓・鳴り物の8名。
底抜けに楽しく、かつ聴き応えあり。実に素晴らしい演奏会でした!

和楽器のバンドと言っても、邦楽の演目や奏法に限定された演奏ではありません。
シンコペーションのリズムあり、半音階あり。
三味線をギター、太鼓をドラムス、鳴り物をパーカッションに見立てたロックバンドのような所作もあり。
和と西洋のテイストが豊かに混淆したクロスオーヴァーなサウンド世界を、存分に堪能して参りました。

今宵のテーマは「祭り」。ニューアルバム『祭』のレコ発コンサートとしての位置づけです。
ともかくオープニングから、ガンガン弾けまくり! 会場も冒頭から手拍子で応えます。

 ニューアルバム『祭』
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演目は実に多種多様。琴パートの一角を担う市川慎さん(ZAN)の作曲による、花火の情景を模した曲が披露されます。
夏の夜空に殷々と響き亘るような音たち。そしてラストの音が虚空に消えていくかのような趣向が、とっても印象的でした。

その次には「鬼才」山野さん(琴)の創った異色な作品。
ピッコロ(またはフルート)のような篠笛と、オーボエのような尺八の音色を中心に、まるで「和楽器ジャズ」のような、ニヒルな空気感の楽曲でした。

そして次に、三味線2本の競演! いや〜、これが圧巻でした。凄かった!
バチッ、バチッと力強く端正に打ち出して来る音、その一方でコロコロと軽妙に転がる音。
三味線2本の競演がいつしか、2人で1本の三味線を共有演奏に。
ユーモアたっぷりで、しかも超絶的な技巧に圧倒。とにかくスゴイ!の一言でした。

また他には篠笛と太鼓を中心とした祭り囃子のような楽曲も。
祭り囃子に思わず心浮き浮きと浮かれ出す感性は、僕ら日本人の遺伝子のなかにしっかり根付いてるなと、改めて実感。

かと思えば琴2本と尺八を中心に、英国の古楽器アンサンブルのような静かな音色の楽曲も。
琴2本のつま弾きが、まるでクラシックギターの音色のようでした。
その琴の調弦を待つ間の、幕間の寸劇もよく練られていい感じ。

そして終盤はまるでロックコンサートのように客席を巻き込んで盛り上がります。
和楽器演奏ということで客層は中高年が多めでしたが、それでも会場総立ち、「ハイ!ハイ!ハイ!」と拳を突き上げ、諸手を挙げて祭りの所作を全員で舞うところまで、昂揚しちゃいました。
いや〜、大満足の一夜でした。ホント良かったっすよ。
次は10月5日、大阪公演もあるようなので、お近くの方は是非。超オススメです!

(帰り道。山1丁目の3本木。)
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2016年08月26日

夏の終わりに

8月26日(金)快晴 旧暦文月二十四日 正午の月齢23.3

まだまだ暑い日が続いてますが、
光と影のコントラストは、かなり強くなって参りました。

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2016年08月23日

内閣法制局も堕ちたもの

8月23日(火)くもり 旧暦文月二十一日 正午の月齢20.3

  「生前退位に憲法改正は必要ない」南野森(九州大学法学部教授) 
    2016年8月23日 11時20分配信 ヤフージャパンニュース 

内閣法制局などが、将来にわたって天皇の生前退位を可能にするためには、「憲法改正が必要」と指摘している、とのこと。
一方、生前退位を今の天皇陛下にだけに限定するのであれば、特例法の制定で対応が可能だと説明しているとのこと。
特例なら可能で、永続的には「憲法改正が必要」な理由が、全然説明されてないじゃん。ご都合主義もいいとこだね。

天皇陛下の地位は憲法に拠り「日本国民の総意に基づく」が、別に明仁天皇即位の際に国民投票をやったわけじゃない。国の法令である皇室典範の定めに拠って、即位されたまでのこと。これが即ち、「日本国民の総意に基づく」ということの実相。
ならば、国民の選挙により構成された国会が正当な手続きで皇室典範を改正し、新たに退位の道すじを規定すれば十分。それで「天皇の地位は日本国民の総意に基づく」という憲法の規定と、何ら矛盾は致しません。

もとより天皇は、政治に関する権能を有しない。よって自らの退位を自ら決めることは出来ません。そこは当事者のお気持ちを尊重しつつ、国政の正しい手続きに乗っ取って、我々国民の側が決めるべき事柄です。

そして前にも書いたが、「右」も「左」も、いいかげん天皇陛下の政治利用は慎んでもらいたい。憲法改正のダシにしようとか、反政府のヒーローに仕立て上げようとか、どちらもダメ。
しかしこの問題に関しては、子供だましの屁理屈で天皇退位を改憲論に結びつけようとする政府側の浅ましさがの方が、より際立ってるなと思う。

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2016年08月09日

天皇陛下、生前退位の「お気持ち」を表明

8月9日(火)晴れ 旧暦文月七日 正午の月齢6.3

8日に放送された天皇陛下の「お言葉」を謹聴して、思うこと。
まず明仁天皇は、「天皇」の存在意義を、たいへん積極的・肯定的に把えておられるのだと思いました。

そもそも政治というものは本来的に、国民の幸福を目指すものですが、
その手段、方法という点で甲党・乙党に分かれ、甲党より選ばれた総理大臣は、常に乙党側の非難攻撃にさらされる事になります。
つまり日本国の代表たる総理大臣は、日本国民統合の象徴とはなりにくいという宿命を、甘受せざるを得ないのです。

それに対し天皇は、憲法の定めにより政治に関する権能を有しない。
平和と安寧を求めるにしても、具体的な方策を練り、断行するわけではありません。
ただ祈るだけ。ただ訪れ、人々にお言葉をかけるだけ。
しかし僕ら日本国民、つうか人間というものは、甲論・乙論という意見、方法論の違いを超えて、
平和と安寧と幸福を求めるという根本においては、意見は一致していると考えます。
平和のために祈り、犠牲者に哀悼を捧げ、被災者に慰撫の言葉をかけ続けるものの、具体的な方策は提示しない天皇だからこそ、
甲党の代表たる総理大臣にはなし得ない、甲乙を超えた国民統合の象徴としての役割を、果たすことが出来るのだろうと思います。

日本国憲法に規定されている「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」とはいかなるあり方なのかという点につき、
明仁天皇ほど深く思いを致し、つきつめて考えて来られた方はいないと思います。
そしてそれは明仁天皇が、自らの人生の意義をどのように形作っていくかという、真摯な命題を追究することによって、支えられて来たに違いないと信じております。

日本国憲法の規定のもと、天皇には、天皇にしか為し得ない大事な役割がある。
そしてそれは、大変に意義深いものと考えられたからこそ、
明仁天皇は、身体が健全でなければ天皇の務めを果たすことが出来ない、
少なくとも全国津々浦々に足を運び、人々と膝を交えて直に語るくらいの力を残していなければ、その職務を全うしているとは言えないと、お考えになったものと思います。

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そして思うのですが、明仁天皇は、
自らが天皇「である」というよりも、今天皇を「やっている」という感覚に軸足を置いて、職務を遂行されているように感じられます。

歴史学で明治国家をの思想を表す概念の一つに、「家族国家観」というものがあります。それは、天皇皇后は民の父母、民は天皇の赤子(せきし)、日本臣民は一大家族のように睦み合え、という考え方。一世一元の制がこの家族国家観と密接不可分の制度であることは、容易に想像がつきますね。

昭和天皇末期のことを、思い出してみて下さい。病に倒れ、闘病生活に入り、生涯を閉じるその瞬間まで、昭和天皇は天皇であり続けました。
その結果の長期にわたる自粛ムード、そのことによる国民生活への影響、社会の停滞。そんなことがまたあってはならないと、明仁天皇は明確に述べられました。
これ聞いて、ハッとなりましたね。僕らみな体験して知っていたはずのことなのに、天皇自らが提起しなければ、ほとんど誰も改革を唱えなかったとは。僕ら1億も頭脳を並べといて、揃いも揃ってボンクラであったと、悟らないわけには参りません。

もし本当に天皇が民の父なら、病に倒れてもオヤジはオヤジ。オヤジが危篤に陥れば家族が自粛ムードに包まれるのも、致し方ないところでしょう。病気になったので俺はもうオヤジをやめる〜、とは行きませんものね。
でも明仁天皇は、子にとって父が父「である」ように、国民にとっての天皇「である」わけじゃない。
あくまで職務を全うする気力・体力があり、全身全霊で務められる間だけ、天皇を「やっている」。
国民生活を損ない、国民に迷惑をかけてまで、天皇を「やっている」わけにはいかない、と述べている。
つまり明仁天皇は、明治国家的な「家族国家観」を否定しているという点が、この「お言葉」の大事なキモの一つだと、僕は考える次第です。

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そんなわけで僕は明仁天皇を、現代天皇制確立の功労者と考えております。
子供の頃、象徴天皇制の意味って全く理解不能でした。単なるお飾り、ハンコ押すマシーン、税金の無駄遣い、その位にしか考えられなかったんです。
全くの想像ですが、明仁天皇だって、同じ思いに捕らわれことがあったはず。
でもきっと、そこで思考停止して日々惰性に流されること無く、「象徴」とは?「国民生活の象徴」とは?と、常に自問し、自らの人生の意味を、模索し続けて来られたのだと思います。
そんな明仁天皇の姿に触発されて、僕もいろいろ思索を深めることが出来ました。
日本国家の代表が総理大臣一人でなく、もう一人天皇がいることで、僕ら日本国民は大きな恩恵を受けている。今ではそう考えるようになりました。

が、しかしです。

そんな「天皇」の責務を、特定の家に生まれた人々にのみ負わす天皇制は、
僕はやっぱり、間違っていると思います。
せっかくこの世に生まれて、「お前は天皇になる他ないんだ!」なんて決めつけられたら、
僕なら絶対、隙を見て国外に高飛びしちゃいますね。
そしてもっと可哀想なのが「お后」じゃないでしょうか。
一体誰がパンダみたいにガラスケースの中に入り、死ぬまで人目に晒されろなんて言われ、納得する?
自分の意志で「それでいい」というならいいけれど、
他にいい候補者がいないってんで、周囲の無言の圧力で一生を決められ、
母親に「これも娘の運命だと思って受け入れます…」などという言葉を吐かせるような事態が、あっていい筈など絶対あり得ません。
天皇制は、日本に残された最後の身分制です。
選択の余地なく、その家に生まれた運命を受け入れることを余儀なくされる制度など、廃絶すべきです。
世襲天皇制に代わって、選挙で選ぶ任期制(再選を妨げず)の象徴大統領制なんてどうでしょう?
無論天皇家の方々が立候補するのも、彼(彼女)に投票するのも自由。
でも一方、立候補しない自由も選択できます。
天皇家は出雲国造家のように、国の制度ではなく自分たちの意志で、「家」を存続するかどうかを、選択できるようになるのです。
天皇家という伝統と現代民主政体がブリッジされるか否かは、あくまでもその都度、当事者の自由意志により、選択されて行くべきです。

でも…
僕ら日本人が自分たちの意志で、憲法を変え、天皇制を廃止するなど、夢のまた夢でしょう。
おそらく天皇家は数代後になって、皇統男子に恵まれず、自然消滅することになるんじゃないかな。
古墳時代頃、稲作文明の形成と共に発祥した天皇家は、
日本が農耕中心の社会を脱したことで、終焉の時期を迎えるような気がしています。



posted by 弘松勘八(ひろまつかんぱち) at 23:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする