2016年06月10日

日枝神社山王祭

6月10日(金)晴れ 旧暦皐月六日 正午の月齢5.0

赤坂日枝神社山王祭のうち、六月十日の神幸祭。日本橋高島屋付近にて撮影。

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馬車も登場しているのがわかります。

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車道はすべてを規制せず、歩道寄りの1車線のみを規制し、そこを練り歩きます。

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続いて日本橋。この2枚の写真が「ざけんな!首都高!」と言われる所以でしょう。

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次は、徳川慶喜揮毫による日本橋の橋標です。

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道路元標の複製。
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このカプセルは、2036年に開かれるとのこと。
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さて次は日枝神社へ。次の2枚に見える参道はずいぶん立派ですが、
実は3枚目の鳥居から見上げる急坂が表参道。
ここを登り切ると、4枚目の神門に至ります。

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社殿への参拝。行儀よく3列に並んで。
てか、両脇の警備員から「3列に並ぶよう」指導されます。
例えば浅草寺観音堂への、雑然として思い思いで活気に満ちた参拝風景とは、だいぶ趣を異にしています。

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社殿の左右に鎮座する神猿像。

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そして最後は社殿の裏手、稲荷参道を下った辺りにある鳥居ですが、
左側に国旗掲揚台があり、日の丸が掲揚されています。

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この辺が、庶民の寺院である浅草寺あたりと大きく様相を異にした、
この山王日枝神社というやしろの性格を物語っていると言えそうです。


posted by 弘松勘八(ひろまつかんぱち) at 23:53| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月03日

根津美術館 「若き日の雪舟」展

6月3日(金)晴れ 旧暦卯月二十八日 正午の月齢27.3

今日は表参道の根津美術館に、「若き日の雪舟」展を見に行きました。
根津美術館と言えば、美しい庭園も見逃せません。まずは庭園の散策から。

(画像はすべて、2回クリックで拡大します。)
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庭園内には多数の石仏が鎮座。おかねもちな仏様です(笑)
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さて今回この催しに惹かれたのは、雪舟二字説(雪舟には別名があった!)が展開されていると知ったため。
雪舟等楊(とうよう)の別名というのは、拙宗等揚(楊ではなく揚)。名前のよく似た別人と見られることも多かったこの2者は、実は同一人物で、拙宗が若い頃の名であった。これを定説とする立場から展示が構成されています。

展示の目玉は、米国スミス・カレッジ美術館所蔵の拙宗等揚作「芦葉達磨図」(ろようだるまず 下のフライヤー裏面の中央に掲載)。同館所蔵となって以来、本邦初公開とのこと。インドから禅を伝えようと中国にやって来た達磨が布教に失敗し、一枚の芦の葉に乗って、揚子江を北に向かうところを描いたものです。

また雪舟への改名を物語る史料として、「古尊宿詩文集」を展示。その巻中に「長禄元年冬之孟」と記載ある部分を開示し、これに拠り、雪舟と名乗ったのは1457年10月、38歳のときとする説を解説の中で展開しています。

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「雪舟二字説」に拠れば「芦葉達磨図」は、雪舟がまだ画家としての方向性を模索していた若き日の作品、ということになるのでしょうか。布教が思うに任せない事による苦悩によるものか、目の下には隈、そして苦悶の表情。また獣のように毛深い裸足の足の甲が、足を棒にして回っても成果が出ない空しさを物語るよう。しかし一方、強い意志の力を示すようなキリッとした上向きの目線が、とても印象深い作品でした。
試行錯誤する画家としての苦悩が画風ににじみ出た作品。そんなふうに評したら深読みに過ぎるでしょうか?

展示中にはまた、「拙宗」時代の「山水図」も見えておりました。バランスよく無難にまとまった作品ですが、「雪舟」の山水図が、こじんまりとした小さなバランス感覚の枠に収まらない、ダイナミックで剛胆な魅力に満ちている事からすれば、物足りない作品。確かに雪舟が「拙宗」のままであり続けたならば、後生に名を轟かす程の存在にはなり得なかったろうと感じさせるものでした。

雪舟が独自の画境を拓いたのは、数え歳48歳で渡明した頃からと言われています。海外に雄飛して見聞を重ね、視野を拡げ、また歳を重ねることで自由の境地を得、剛胆で突き抜けた魅力の作風を確立して行ったのでしょう。この老境に達してからむしろ、若い頃よりも奔放でスケールのでかい作品を残したという点では、かの”ビッグウエーブ”(富嶽三十六景・神奈川沖波裏)という金字塔を打ち立てた北斎に通ずる部分もあるかなと、勝手な想像を巡らせたりもしています。


posted by 弘松勘八(ひろまつかんぱち) at 23:26| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする